メインクーンラヴ

私の仕事と闘病の日記です

35歳から50歳まで

私はいつの間にか50歳になっている。

彼と同居してから15年。

そのうち8年間は自分の意志で無駄にして、でも、彼を信じて、家を買い、車を買い、猫を飼った。

ほんの少しは私のことを好きでいてくれると思っていた。でも多分違ったんだろうな。

私は金づるだった。助けてくださった警察の方にも、何度もそう言われた。

 

私は彼には「俺の未来を奪った」と言われた。「約束を破って、お金にしたら1億2億では済まされない失態を犯した」と言われた。「俺は仕事をしていたらそれくらい稼げている」と。でも、働かなかった。15年間ずっと家で過ごし、車を買い、それでも出かけもせず、ずっと家の中にいて彼は40kgも太った。

 

トレーニングルームを作り、ルームランナーとエアロバイク、腹筋台、ダンベル等を買った。でも一度も使わなかった。

 

ロト6を毎週2回買わされ、「いつ当たるんだ」と罵られた。「お前が赦される道はそれしかない」と。

 

手持ちのお金はすべて取り上げられ、毎日の食費は1500円で、すべて彼の食費になった。私はお米と卵、ふりかけ程度のごはんで、たまに残り物を炒めてどんぶりなどにしていただいていると「なんだその糞飯(クソメシ)」と笑われた。

 

食事が私の言動が気に入らないと、「終了」と言って、一週間も口をきいてくれず、その間の私の態度が悪いと、すべてを暴露して家を出て行くと言った。でも、一度も出ては行かなかった。

 

新築マンションを買った最初のクリスマスに丸ごとのローストチキンを買って来いと言われ、買ったが、食卓にそのままナイフとフォークと一緒に出したら、「俺が骨付きチキンが嫌いなことをしっているだろう」と激怒され、チキンをちぎって部屋じゅうに投げられた。サラダも、何もかもすべてまき散らされた。それからはクリスマスだからとか、お正月だからとか、イベントはやめた。

 

一度、まだクレジットカードを使わせてもらえてた時、ブルゾンの暖かそうなのがあったので、内緒で彼に買った。クリスマスとお誕生日のプレゼントは、ないと嫌味を言われるし、私は本当はそういうプレゼントをするのは好きだった。

そうしたら、「適当に選んだだろう」と罵られ、何度か下見をして買ったことを信じてもらえず、ものすごく怒られた。

 

ネットゲームのガチャガチャに、5万円程度課金することが年に3回程度あり、私はとてもむなしくて嫌だった。(でも彼のお友達ももっと課金しているようだったので、それは仕方ないと思っていた。) そのガチャガチャで当たりを引けと言われ、引けないことを責められるのも嫌だった。お友達は3万円ほど使えば、当たりが出ているらしいのに、私たちは一度も出たことがなかった。そういう課金も、私に対するいやがらせだと言っていた。

 

何かというと、顔を殴られるようになった。でも、殴られるのはまだ全然良かった。何とも感じなくなった。それよりそのあと1週間以上口をきいてもらえず、食事を用意しても全部捨てられたり、何日も眠らせてもらえなかったりするのがつらかったし、仕事に差しさわりがでることがいちばん恐ろしかった。彼のために用意する肉や野菜をのどから手が出るほど食べたい時もあった。でもその気持ちを押し殺した。私は料理や買い物をする時間がなかったり、料理があまり得意ではなかったりするので、割高ではあるけれど、必然的に彼には買い物で食事をしてもらうことが多く、私が作ると食べてもらえないことが多かったので、1500円でも足りないくらいだった。

 

2年間、ベッドを使わせてもらえなかった。玄関の床に、ベッドの敷きパッドを敷き、コージーブランケットとタオルケットをかけて寝た。でも、寝られるのはまだよかった。最後の1年間は、本当に眠らせてもらえなかった。うとうとするとペナルティーを与えられ、ますます眠れなくなった。一日1時間半程度「温情で」寝かせてもらえた。

玄関では自由度が高すぎると、床に養生テープで私の居場所を指定され、そこから一歩も出てはいけなくなった。お手洗いに行くときも許可制で、たいていすぐには行かせてもらえなかった。「もらせばいい」と言われた。

 

お風呂にも、まともには入らせてもらえなかった。週に2回、シャワーを浴びさせてもらえればよいほうだった。夏でもそうだったので、仕事に行くのがとても心配だった。湯舟につかることもできず、彼の残り湯はいつもきれいに流されていた。ひと月に一度程度は、「沸かし直しをしない」という約束で、10分だけお風呂に入らせてもらえた。

でも、10分で髪も洗い、乾かさなければならなかったので、ほとんど浸かれなかった。

 

どうしてそんな執拗な意地悪を思いつくことができるんだろうとずっと思っていた。子供みたいだけど、大人だったし、殴られれば痛かった。アザは残さないように殴っていたみたいだけど、何日も痛いこともあった。足が紫に腫れて、膝が曲がらないこともあった。床をふくワイパーの柄で殴られた時だった。

 

出て行ってとは言えなかった。仕打ちがこわかったし、何より、私が彼のことを好きだったのだと思う。今もまだ、彼を思い出すと冷静でいられない。それが何よりの私の弱みだったのかもしれない。

 

二度と会わないし、連絡も取らないけど、どうしてそんなことができたのか、聞いてみたい。自分が犯罪を犯していることに全く気付かなかったという。そんなことがあるのかな。彼はインターネットを駆使していろいろなことを学んでいる人だったけど、私が警察に保護してもらったとき、強がり、警察のかたにたしなめられたそうだ。「彼女が被害届を出せば逮捕しますよ」と。それで気づいたらしい。

 

私は自分の15年間を自分で浪費してしまったと思う。親にも申し訳ないと思う。これからの15年間で、いろいろな人に恩返しをしていきたい。