美容室行ってきました

私は今行っている美容室が大好き。ようやく思い通りの立地、美容師さんたち、仕上がりのよさに巡り逢えた。だから口コミも毎回書いてあげる。

 

思えば、DVから逃れたその3日後に、堰を切ったように今までのことを打ち明けたのもその美容室が最初だった。心療内科や、カウンセラーにも打ち明けたけど、そのはるか10か月前に話を聞いてもらえたのはその美容室の美容師さんだった。身内にも言えないような卑猥なことや卑劣なことをされていた私は、直接的には言えなかったけど、不満だったことや、警察で保護されたときのほっとしたときのことを話し続けた。若いアシスタントの方には刺激が強すぎたかもしれないけど。

あと、早く借金返さなきゃ。返済の期限はないけど、10万円をなんとか半年くらいで返したい。

今日のこの日記の締めはどうしよう。オチも何もないけど・・・。おしまい。

 

体調が良くないけど

自分の体調をあれこれと報告するのは本当は嫌い。

特に、心療内科にかかるようになってからは、「自分がメンタルに問題を抱えています」ということがはっきりしてしまって、わけもなくいろいろな感情や症状に振り回されても、「あー、私やっぱりまともじゃないんだな」と思ってしまう。

それをここで吐露したところでどうにもならないのですが、紙の日記帳では記録をつける気力が起きず、かといってこのブログを開く気力もなく、日々が過ぎてしまった。

記録は宝だと思ってはいるのだけど。

 

今、仕事がつらい。「これは本格的な鬱か」と思ってしまうくらい。行ってしまえば普通に楽しく仕事ができるのだけど、生徒数が減って、教室運営からも外されて(敢えてこういう言い方をするけど)、自分のノルマは果たせなくて、おまけにセンター試験は来年で終わってしまう。どのような試験になるのか、私たち講師にはどのような期待をされるのか、自分の実力で対応できるのか、等。その中で、今まで受けたことのなかったセンター試験や英検にも挑戦してみようと思っている自分。できるのだろうか。

 

彼と別れて1年4か月と12日。(元旦だから数えやすい)

経済的にキツかったけど、管理はしてくれていたんだなとか、自分は自分の体を本当に酷使して彼に仕えていたんだなとか、いろいろ思う。特定の料理をしていると動悸が激しくなる。泣きたくなる。音楽が鬱陶しくなる。虐待のニュースで心がざわつく。

 

「ざわつく」

 

そうだ、これが今の私にぴったりの不安要素なのだ。ひどい立ちくらみ、出血、通院、服薬、家事、教える仕事、そうでない仕事、人とつきあうこと、すべて円満にというわけにはいかないけれど、不安なのだ。他人に頼っていてばかりの自分が嫌。

 

でも、どうにか、一人で暮らしていこう。今月20万円の借金をしてしまったけれど。大型連休で収入は減るけれど。でも、健康に気をつけて、前を向こう。怖いことからにげていてばかりはいられない。このブログを書くことももしかしたらリハビリになるかもしれない。何も感じないふりをし続けてきた。痛くても感じない。体の暴力はまだましだった。いつもにっこり笑って、“ご奉仕”して、いやがらせにも動じず、または、過敏に反応する「ふり」をして、親にばれることを怖れて、15年も無駄にしてしまった。

私に将来はないに等しいけれど、信頼すると決めた一人の人がいるから、その人を頼り、頼られて、まっすぐに生きてみようと思う。

新年度の決意でした。

お盆休み4日目

 実家ではいろいろと両親と大叔母との確執があるらしい。確執といったら間違いか。片方はもう認知症でもおかしくないし、生来のわがまま体質が表に表れてしまったと言える。

 

 私はお世話から逃げてしまった身ではあるけれど、両親が頑張ってくれていて私達子供世代には背負わせないようにしてくれてありがたい。通院用に車は買われたけど。まだ当てにされていないけれど、あと数年もしたら、両親の通院の足として役に立てれば嬉しいと思う。

一等当たった

今日、高島屋で買い物をして、くじをひいたら、5000円ギフトカード(一等)が当たった。厄払いできたような気がして嬉しかった。

 

母が「あんたはやはり持っている」と言ってくれたのも嬉しかった。何も持ってないけどねえ。

 

「勉強で競争心が全くないのはなんでだろうねえ」とも。勉強は嫌いではないけど、他の人と競争することはできなかった。する気になれなかった。負ければ悔しくは思うけど。自分がわかって成績が上がればそれでいいと思っていた。妹も弟もそう。競争心がないと残念がられた。

50の今そんなことを言われてもねぇ。

好きではなかっただろうと今は思う

彼は誠実な面もあった。

他の人と逃げるという事はなかったし、他の人を連れ込むこともなかった。

ただひたすら私を追い込み続けた。

私のことをほんの少しでも好きだったら、できないだろうと思うことを

淡々とやり続けたことを、今でもありありと思い出してつらくなる。

私は一方的に愛していたのだろうと思う。

私が好きだったのだから仕方ない。

本当に好きだった。

 

金属製のモップの柄で、足全体が紫色に変色するまで殴られた。

機械操作やカーナビの設定など、数回失敗すると顔を殴られた。

絶対逃げたり逆らったりできなかった。

毎晩のように腰を叩くのだが、私が寝かせてもらえないので

うとうとすると「終了」が待っていた。

でも自分からは一度も出て行かなかった。

外気温4度のベランダの、ヒートポンプの室外機の前に出ろと

下着姿でスプレーで水を全身にかけられ、言われたときに初めて拒否した。

「殺す」と言われ、家を破壊すると言われ、私を裸で山中に放置すると言われ、

初めて警察に駆け込んだ。

恐ろしくて仕方なくなった。

1か月前に相談に行っていて良かった。話は通っていた。

 

今でも涙が出る。ずっと一緒にいるために頑張ったのに。

なんでそんなことをしたの?って。

やっぱり、私のことを好きではなかったと思う。

警察の人もそう言ってた。

「あなたは金づるだったんだよ」

私には稼ぎもそんなにはないけれど、あなたが働かなくても

月に5万円くらいはゲームに課金できていたし、

食事は用意していたから、そうだったんでしょう。

私はご飯と卵だけでも、彼にはきちんと栄養バランスを考えて

料理は下手だったけど、3食と甘いものと。

そして毎日のタバコと。

 

今、この家にたくさんの電子タバコのための道具や素材があって

目に入るたびに思い出してしまうけど、捨てることもまだできない。

まだ仲が良かったころ、別れたら1か月で忘れるでしょうと

あなたは笑っていたけど、5か月がたとうとしている今でも

毎日思い出して涙が出る。

 

あなたは私を全く好きではなかったんだなあって。

母との関係

母と会うときに、本当に参るのが、元同居人とのことを聞かれては意見されること。

もう終わっているので、「はいはい、そうですね」と聞き流すしかないのだが、

自分の人生における大きな選択ミスをいつまでも言われるのはつらい。

つらいというよりむしろ、母に安心できる老後を送らせてあげられなかったことが申し訳なくて、そして、彼との生活について根掘り葉掘り聞かれるので、思い出したくもないことをいろいろ思い出しては話をさせられて、心がどうにかなりそうになる。

私が悪いので、絶対逆らわない。けど。

母と買い物に行った

母は、私と買い物に行くことを楽しんでくれていると思う。

妹とはもう長く買い物に出かけていない。彼女は働いたことがなくて、母のお金を使って生活をし、好きな服や化粧品を買っているのに、母のことを「バカ子」と呼ぶらしい。私には「死んで」という伝言を預けられるらしい。身内として恥ずかしい。

母と買い物に行くと、たいていのものは買ってもらえるのだが、母の気に入りのブランドでないとだめで、靴なら「BONSTEP」、バッグなら「LeSportsac」、服なら「SIMPLELIFE」である。

私は割合なんでもいいと思うタイプなのでありがたく買ってもらう。今日は「SIMPLELIFE」で、短めのカーキ色パンツを買ってもらった。明日も前回取り寄せてもらったTシャツが入荷したそうなので、一人で取りに行くと言ったら、SMSで「いいなあ」と返ってきた。かわいい母です。